介護の手帖
体験談・本音の話

はじめてホスピスに行った日のこと
──末期がんの叔母に会いに行って、感じたこと

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叔母が末期がんでホスピスに入った。
正直、どんな場所なのか、まったく想像できなかった。
「もう終わりに近い人が行く、暗くて静かな場所」というイメージしかなかった。

でも実際に行ってみると、少し違った。
これは、その日に感じたことを、記憶がクリアなうちに書き留めた記録です。

ホスピスって、どんな場所?

「ホスピス」という言葉は知っていても、実際どんな場所かを知っている人は少ないと思う。私もそうだった。まず基本的なことを整理しておく。

ホスピス(緩和ケア病棟)の基本

目的
病気を治すための治療ではなく、痛みや苦しさを和らげながら、できる限り穏やかに過ごすためのケアを行う場所。主にがん・エイズの患者が対象。
雰囲気
一般病棟よりも日常生活に近い設計になっていることが多い。共用キッチンがあったり、季節のイベントが行われたりする施設もある。
費用の目安
医療保険が適用される。1割負担で約5,000円/日、3割負担で約15,000円/日が目安。高額療養費制度も利用できる。差額ベッド代・食費は別途かかる場合がある。
入院期間
平均30〜45日ほど。ただし個人差が大きい。
入院条件
病院によって異なるが、本人が病状を理解していること、入院を希望していることが条件になることが多い。

「病院みたい」だった

行く前、私はホスピスに対してある種の「覚悟」をしていた。もっと薄暗くて、重たい空気が漂っていて、廊下に苦しそうな人が……というイメージだ。

👤 いうなりの実体験

実際に行ってみると、母が入院していたリハビリ病院とそう変わらない印象だった。廊下は明るく、スタッフさんも普通に動いている。「病院みたい」というのが正直な第一印象だった。

叔母がたまたまそういう施設に入ったということもあるかもしれない。でも、「末期の人が行く特別な場所」というよりは、ごく普通の入院病棟に近かった。

もちろん、施設によって雰囲気はかなり違うようだ。家庭的な温かみを大切にしている施設もあれば、病院色が強い施設もある。「ホスピス=暗い場所」というイメージは、少なくとも私が行った場所では当てはまらなかった。


末期の人に、何を話せばいいのか

面会で一番困るのが、これだと思う。もう意識も薄く、食事もできない状態の人を目の前にして、何を言えばいいのか。

「頑張って」は違う。「早く良くなって」も現実と乖離している。かといって無言でいるのも辛い。

👤 いうなりの実体験

私がとった方法は、「あえて普通に接する」というものだった。

特別なことは言わなかった。ただ顔を見て、そこにいた。叔母の家族とも、重苦しい空気を変えようとして、あえて普通に話した。「大変だったね」「よく来てくれたね」くらいの言葉を交わした。

正解かどうかはわからない。でも、「何か特別なことを言わなければ」と思いすぎるより、普通にそこにいることの方が、相手にとっても楽なのではないかと思っている。

💡 一つの考え方として

末期の状態にある人の前では、「言葉」より「存在」の方が大きい場合がある。何を言うかより、会いに来たという事実そのものが伝わることもある。

「かける言葉がない」と感じたとき、それを無理に探さなくていいのかもしれない。ただそこにいることで十分なこともある。


早めに行った理由

面会のタイミングに迷う人も多いと思う。「もう少し落ち着いてから」「迷惑かな」と考えて、結局行けなかった——という話はよく聞く。

👤 いうなりの実体験

私はあえて早めに行くことにした。理由は二つ。

一つは、叔母にまだ意識があるうちに会いたかったから。意識がなくなってからでは、「会えた」という感覚が違う気がした。

もう一つは、認知症の父も、まだ叔母のことがわかるうちに連れていきたかったから。父の認知症は進んでいるが、この時点ではまだ顔を見れば誰かわかる状態だった。少し経てば、それもわからなくなるかもしれない。だから早めに動いた。

「迷惑かもしれない」という遠慮は、相手がまだ意識がある段階では、あまり気にしなくていいと思う。会いに来てもらうことで、本人や家族が少し救われることもある。


家族に、何かできることはあるか

叔母の家族に対して、何かしてあげたいと思った。でも正直に言うと、できることはほとんどないと思っている。

👤 いうなりの実体験

もう、なるようにしかならない状態だ。医療的なことは専門家に任せるしかないし、本人の苦しみを肩代わりすることもできない。

無力だと感じることもある。でもそれを「割り切り」と呼ぶしかない部分もある。

今できることは、その時が来たときにそばにいること。それだけだと思っている。あとは、叔母の家族が少しでも気持ちを吐き出せる相手でいること。「大変だね」と普通に言える人間でいること。

💡 「何もできない」は正直な気持ち

看取りに関わるとき、「もっと何かしてあげればよかった」という後悔を抱える人は多い。でも終末期において、周囲の人間にできることは本当に限られている。

「何もできない」と感じることは、無関心とは違う。その無力感を抱えながらそばにいること自体が、すでに何かをしていることだと私は思う。


おわりに

ホスピスという場所は、想像よりずっと「普通」だった。

特別に暗くも重くもなかった。ただ、そこには「終わりに近づいている人」がいて、その家族がいて、スタッフがいた。それだけだった。

何が正解かはわからない。末期の人にどう接するかも、家族に何ができるかも、正解なんてないのかもしれない。

ただ、「行ってよかった」とは思っている。意識があるうちに顔を見られたこと、父も連れていけたこと。それは後悔しない選択だったと思う。

同じような立場にいる方の、何かの参考になれば。

👤
いうなり

認知症(中等症)の父と、要介護5の母を同時に介護中。介護の制度・手続き・費用について、体験をもとに書いています。